IT企業と名乗れるか 第8回 ~「企業文化」とは何か~

Pocket

言葉とは難しいもので、伝えたいニュアンスと全く違う意味でとらえられてしまう事があります。
しかし、言葉にしないと伝えることも残すこともできないので、このシリーズでは出来るだけ丁寧に伝えたいと考えています。
ですので、進行がとてもゆっくりになりなかなか本質にたどり着きませんが、もうしばらくお付き合いいただきたいと思います。

今までの記事で、何度か「企業文化」という言葉を使ってきました。

今回は、私が思う「企業文化」とは何かについて書きたいと思います。

「企業文化」という言葉は、捉えようによっては非常に不快な言葉だと思います。
私は日本文化が好きですが、企業における文化というものにおいては負の側面が多いような気がするのです。

例えば最近あったこのニュース、私は笑ってしまいました。一部抜粋させていただきます。
意味不明な採用面接に留学生悲鳴

ある会社説明会では就職コンサルタントと称した人物が出てきて、組織について延々とヨイショしていたという。学生からは、「新人を採用したいのか」あるいは「学生相手に会社の広報活動をしたいだけなのか」意味が分からないとの声が上がった。「ジャン負けゲーム(ワンテンポ遅れて、相手の手に負けるジャンケン)」と題したゲームを隣の学生とさせる、という回りくどいを試験をする企業、飲み会で学生たちと酒を飲み、その場での所作などで適性を判断する企業・・・どれも留学生からは不思議に思われている。

日本企業ではありがちな事ではないでしょうか。何となく、日本では「非合理的なものに暗黙的に従わなくてはいけない空気」みたいなものを「企業文化」と呼んでいる気がします。これは日本社会全体にはびこっていて、その空気に合わない人は非常に窮屈な思いをするわけです。その空気はたいてい、経営者の趣味みたいなもので、従業員はそれに従う事を強いられる訳です。

果たしてこれは正当な事でしょうか。

私の理解として、企業とはステークホルダー全員のものであり、特に上場企業の場合は公共のものという概念で捉えなければいけません。決して経営者の独占物では無い筈です。そして、企業は従業員に対して、法律に従って労働の対価として淡々と給与を支払う存在でしかない、と考えなければいけないと思うのです。定時後を拘束したりプライバシーに踏み込んだりしてはいけないのです。これは当たり前の話です。

まず、この当たり前が当たり前になっていない気がしてならないのですが、いかがでしょうか。

この当たり前の前提に立った場合、企業の特色なんて無くなってしまう気がします。企業とはこんな味気ないものなのでしょうか。

否、そこで出てくるのが「企業文化」という考え方だと私は思うのです。

例えば、私が好きな企業の一つにIBMがあります。そのIBMには「THINK(考えよ)」という文化があります。
「THINK(考えよ)」という文化

失望したワトソンは、部屋の前に進み出て皆を厳しく叱責しました。「われわれ全員が抱えている問題は、十分に考えようとしないことだ」と彼は大声で述べました。「知識は思考の結果であり、思考はビジネスの分野を問わず成功の基礎を成すものだ」と皆に伝えました。ワトソンは、以降、「THINK」を会社のスローガンにすることをその場で決定し、太字で「THINK」と書いた紙を部屋の壁に翌朝貼るように部下に命じました。

IBMが長年かけて学んだことは、文化は経営の単なるツールではなく、経営の本質にほかならないということです。つまり、社員が正しい意思決定を行うのは、やるべきことを命じられたからではなく、やるべきことを知っていたからです。もしそうだとしたら、つまり、考えることに基づいて企業文化を育てることができるとしたら、何世紀にもわたる変化を通じて組織を維持し、導いていくことができます。

他の例としては、3Mにある「15%カルチャー」です。
在宅勤務でなくても「自由に働く」で成果を上げる、3Mは15%カルチャーで失敗を許容

「ポスト・イット」で馴染み深い住友スリーエム(住友3M、東京・世田谷)には、独特のルールがある。総勤務時間の15%は、会社から与えられたテーマ以外に使ってもいいという「15%カルチャー」。就業規則に記載はなく、上司への報告義務もない。

 狙いは、技術者の“遊び心”を刺激し、革新的な商品やサービスを生み出すことにある。総勤務時間の15%の範囲内であれば、失敗を恐れずに、中長期的なテーマに挑戦できる。15%カルチャーは「失敗を許容する文化」の醸成に、一役買っているといえる。

こういった企業の取り組みが「企業文化を育てる」という事だと思うのです。

言い方を変えればこういった活動は「経営方針」とか「経営手法」とも言えるのかもしれません。
ただ、私の中で「経営」とはひとつの理想に向かう事であり、数値と向き合う事であり、社員を従わせることだと思うのです。「文化」とは、感情に向き合う事であり、空気のように存在するものであり、強制されてはいけないものだと思うのです。
(まあ、言葉のニュアンスの問題だけといえばそうかもしれませんが)

私が会社を立ち上げてまず行ったことがあります。事業で必要なサーバの購入において、既製品を購入するのではなく敢えて部品を個別に購入して買い出し~組み立て~セットアップを自分たちで行いました。サーバを購入する機会なんて滅多にないですからね。その間、私は口は多少は出すけど手は出さずです。みんなの自主性に委ねました。

サーバ設置作戦 ~後編~

この作業を行ったのは土曜日だったのですが、スタッフ全員が参加してくれました。若手スタッフはPCの内部構造を知りたいという思いであったり、普段はWindows Serverを扱っているスタッフはLinuxやネットワークの知識を得たいという思いであったりと、目的は様々です。


みんなで組み立て途中のPCを囲んで興味津々です。

私は知っています。みんな、興味がある領域がちゃんとあり、邪魔さえしなければいくらでも学べるのです。代表者が正しい選択をすれば、いくらでも学ぶ機会を作ることができるのです。会社に都合のいい学習を強制しても無駄です。
そういった、自然と学びたいと思える状況を作る。それが「企業文化を育てる」という事のひとつだと考えています。そして、「企業文化」と「経営」とを高度に結びつけるのが代表者の役割だと考えております。

追伸:
あえて補足すると、文化は息苦しくなってはいけません。やりたくないスタッフがいればやらなくても良いし、やらない事に対して悪く思ってもいけないし、やらない人が気まずい気持ちになってもいけないのですが、簡単な話ではないですね。

Pocket

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。