映画『この世界の片隅に』が2016年 第90回キネマ旬報ベスト・テンで一位を獲得しました。また、監督賞もこの作品の監督を務めた片渕須直さんが受賞されました。おめでとうございます!
私も公開されてすぐにシネコンで見たのですが、客の入りがイマイチでどうなる事かと思いました。しかし口コミで良さが広まって公開されて70日近く経った今、全国の映画館で満席で座れない時もあるくらいに盛況のようです。
通常、映画は公開後の数日間の客の入りが最も良くて、それから下降していくものらしく、これは異例のようです。また、配給会社が東京テアトルという事で、単館系・ミニシアター系の作品(という表現であっていますかね?)がこれだけの興行収入を達成するのも異例のようです。良いものが自然と広がっていくというのはとても嬉しいものです。
ただ、快挙を達成しつつあるこの作品ですが、大手が配給する映画と比べると興行収入はまだまだ寂しいのも事実です1。興行収入が映画の評価を決める訳ではありませんが、良いものが正当な評価を得られる世の中であって欲しいという思いもあり、応援の気持ちも込めて記事に残そうと思った次第です。
映画の感想は他の人もたくさん書いているのでそちらに任せるとして、私はそれ以外を記そうと思います。
「映画館」という体験
先に書いた通り、最初にシネコンで見た時は客が入っておらず、10人程度しか居なかったと記憶しています。その時は人数が少ないこともあり、映画を見た、というだけの経験でした。その後、この映画を見ることが日本の映画文化を支えることかなーと柄にもないことを考え、また見に行くことにしました。しかも、近所のシネコンはいつでも行けるので、普段は行かない映画館で見ようと、これも文化を支えることに繋がるかな、と。まあ、単純に良い映画だったのでもう一度見たいというのが一番の動機ですが。人生初の、同一映画の複数回視聴です。
テアトル梅田、塚口サンサン劇場、金沢シネモンドの順で見てみましたが、それぞれ雰囲気が違います。塚口サンサン劇場では、なんと『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を上映していました。映画好きが運営している映画館って良いですね(立誠シネマ、高田世界館、川越スカラ座も行ってみたいなぁ)。
テアトル梅田以降は客の入りも良かったです。客層が子供からお年寄りまで幅広くて、映画館で観客の笑い声が聞こえたり、すすり泣きがたくさん聞こえるのがとても不思議で、上映が終わった後に拍手が起こったのも初めての経験でした。久しぶりに立ち見も経験2しましたが、これはこれで悪くなかったです。映画館で得られる経験が、映像や音響の良さだけでないというのを体験しました。
また、みんなのツイート等を見ていると、親子で見たり、孫がおじいちゃんやおばあちゃんと映画館へ行ったり、鑑賞後に感想を語り合ったりしているようです。また、時代の流れとともに人が来なくなったミニシアターが満席になったりと、もうこれらのエピソードだけで感動モノです。
今は4DXで物理的に体を揺さぶったりしますが、作品性だけで心を揺さぶられて、みんなで共有する、たぶんこういうのが映画の原点なんですよね。この映画は、まるで映画が本来持っていた力みたいなものを示しているようで、こういった現象が起こっているのを見ている映画関係者はさぞ嬉しいんじゃないでしょうか。
陰で支える人々
片渕さんが監督を務めた前作『マイマイ新子と千年の魔法』はとても良い作品ですが、興行的には相当苦労したそうです。片渕さんはこうおっしゃっています3。
『マイマイ新子』の時に実感したのは、自分たちの作っている作品の立ち位置の難しさです。今、お客さんが大勢入っている映画の多くはTV局が出資しています。TV局が出資しているとスポットがTVでいっぱい流れるので周知がされやすい。逆にそうではない映画はなかなか一般の目にとまりづらい。一方でアニメだと、アニメファン独自のアンテナにひっかかる作品であれば、パーッとお客さんが集まりますよね。ただ僕らの作っているものは、そういうものともちょっと毛色が違う。じゃあ、映画をものすごく好きな、シネフィルと呼ばれるような人たちはどうなのかというと、今度はアニメに興味が無い人が多くて、アニメは見る対象から排除されちゃう。結果、僕らはその三つの領域どこにも属せない、真空地帯に入り込んじゃっているんです。
『マイマイ新子』は公開当初は興行の低迷が原因で3週間で打ち切られました。しかし、作品の質の高さからファンがインターネット上で署名活動を行ったり映画館へ上映の嘆願を行ったりした結果、いくつかの映画館が上映を決め、2年間のロングランに繋がりました4。
片渕さんが『マイマイ新子と千年の魔法』の次の作品として『この世界の片隅に』を作ろうとした時、この「真空地帯」の作品に興味を示して出資してくれる会社が無かったそうです。そこで、パイロットフィルムを作る費用をクラウドファンディングで集めることになりました(潜在需要があることと、素晴らしい映像が作れることを示すため)5。クラウドファンディングではあっという間に目標金額を達成したそうです。これも原作のファンと、『マイマイ新子と千年の魔法』から監督を支えたファンの存在あってこそです。
また、この映画をきっかけに陰でアニメ業界を支えている人たちがいることを知りました。例えば丸山正雄さんというプロデューサーが日本アニメ業界を黎明期から支えているとか(アニメファンならみんな知っているレベル?)。片渕さんが書いているサイト(こことかこことか)を読んでいると「今のヒットを受けて丸山正雄さんはめちゃくちゃ嬉しいんじゃないかな」とか想像したりする訳です。そして「もしかしたら高畑勲さんも喜んでるかも」なんてことも妄想したりする訳です。
漫画・アニメの芸術性と、こうの史代さん、片渕須直さんに光が当たることの意味
映画『この世界の片隅に』は、実写では不可能な、アニメにしかできない映像表現がたくさん盛り込まれています。基本的には朗らかな絵と音楽に身をゆだねて気軽に見るのが良い作品だとは思いますが、実は映像作品としてもとても高度なものだと思います。それは原作の漫画でも言えることです。
今まで漫画の絵はストーリーを説明するためのものという認識でしたが、こうのさんの作品性はそれだけじゃなくて、音や匂いや感情や時の流れを描いているというか、一コマ一コマが描かれているもの以上の意味を持っているように思えるのです。コマ割りや絵を描く素材や描く手にまで意味を持たせて作品を作っているというのを知って、感心しきりでした。そしてその意図を汲み取って映像作品として仕上げた映画も見事です。
いまだに漫画、アニメを下に見る人がいますが、『この世界の片隅に』においては、原作漫画もアニメ映画も間違いなく芸術の域にあると言えるでしょう。昨年、ボブ・ディランがノーベル文学賞をとって話題になりました。私は、日本の漫画やアニメは鳥獣人物戯画のような絵巻物や浮世絵に源流を持つ立派な日本文化だと思うのです。だからこそ、こうの史代さんに権威ある賞を与える土壌が日本に無いのが寂しく思えます。
原作者のこうの史代さんはこんな事をおっしゃっています6。
私はもともと片渕監督の作品に影響を受けて今の作風を掘り進めてきたようなものなので、やっぱり悪いところも似ているような気がしていたんです。具体的には「何の脈絡もないけど、なんか面白いからやる!」という部分が我々には共有してかけている。お子様ランチに旗を立てられない気質、というか(笑)。
こういった作家性に大いに共感を覚えるところです。ただ、両名の作品とも売れることを目的に作っているわけではなく、それ故に「良いものを自ら探す」という層以外には届かないもどかしさがあります。『マイマイ新子と千年の魔法』も知る人ぞ知るといった存在でしたし、こうの史代さんの名前も広くは知られていなかったのではないでしょうか。この映画をきっかけにこうの史代さんの作品が売れているようですし、『マイマイ新子と千年の魔法』も再上映が決まったりしているようで、うれしい限りです。この映画が、片渕さんやこうのさんのような、売れ筋じゃないけど良いもの、作りたいものを追求する作家に光が当たる結果につながったことが、個人的にはとてもうれしいです。特に映画作成は予算の問題が付きまとうので、片渕さんの次回作は予算に困らない環境で作成に専念できることを望みます。
俳優が声優を務める事について
声優以外がアニメの声を当てることについて、私は今まで否定的でした。ジブリの作品に顕著なんですが、違和感がすごいんです(これは完全に個人的な感覚でしかないのですが)。
『この世界の片隅に』で主人公を演じたのは、女優ののん(本名:能年玲奈)さんです。今回初めて、俳優が声優を務めることの狙いというか、意味が分かったような気がしました。あー、こういうことをやりたかったのね、みたいな。ほんわかした演技がしっくりきている分、感情を高ぶらせる演技は圧巻と言えるものでした。そして、何となく『マイマイ新子と千年の魔法』の声優を見てみると、新子の母親役は本上まなみさんだったようで。全然気づかなかった…。『この世界の片隅に』を見てもらえばわかるのですが、キャラクターと声優の一体感みたいなものが見事なんですよね。恐るべし、片渕監督の配役。
プロフェッショナルが響きあって一つの作品ができる
この映画のもう一つの凄いところはBGMにあります。コトリンゴさんの曲は軽快で映画に溶け込むようで主張しないのですが、聴けば聴くほど凄いなーと思うのです。新しいのに古典というか、軽快なのに重厚です。是非サウンドトラックで聴いてみて欲しいと思います。
コトリンゴさんの発言で興味深いものがあります7。
片渕監督のオーダーで印象的だったのは大和が出てくるシーンですね。私は兵隊さんの出てくるところだから、ラッパを使った曲を書いたのですが「そういうふうにはしたくない」と監督に言われたんです。もっとすずさん目線の曲にしたい、と。私は、兵隊=ラッパっていう単純な連想で曲を書いちゃったわけですけれど、この映画は「すずさんのフィルターをを通して見た兵隊さん」でないといけないんだな、とちょっと反省しました。
ちょっと可愛らしさすら感じる内容ですが、ちょっと反省した後に出来上がる曲があれなわけで、作品への理解度というか、言われた通りに作るのではなく作品自体を自分のものとして吸収していく過程に凄さを感じます。
また、片渕監督による主演ののんさんについての発言にも興味深いものがあります8。
—すずがいかに大人になるかということが主題としてあるわけですね。
片渕 そこについてもやっぱりのんさんからもらったたくさんの質問の中にありました。「この作品は、すずさんのモノローグみたいな心の声で進んでいくんですけれど、ここはモノローグじゃなくて本当に口を動かして喋っているんですね」って、終わりのほうのあるセリフで言ったんです。「今までだったら、すずさんは絶対に口に出して言わないようなことをここで言ってますね」と。なのでこちらも、それはすずさんが変わっているからだよね、ということを話ししました。そのやりとりでこちらも言語化できたこともあって、それを作画にさらにフィードバックもしました。
アニメの映像に声をあてるのではなく、まさにすずさんを演じていることがわかります。この作品の演技でのんさんがヨコハマ映画祭の審査員特別賞を受賞していますが、それがふさわしいことがよくわかるエピソードです。しかものんさんの演技が作画へフィードバックされるという。そんなこともあるんですね。
普段、ビジネスパーソンとして生きている私ですが、プロフェッショナルのハイレベルな仕事、才能が相互作用を起こして素晴らしいものが出来上がる過程に唸り、ある種うらやましさを覚えたりします。
片隅にいる主役でもある人々
この作品は片渕監督による6年もの製作期間をかけて作られています。その期間中、何度も広島と呉に赴き、監督の貯金が尽きそうになるまで自費を投入し、執念といえるまでの時代考証を経て作品が作り上げられています。この映画を見た、当時の広島や呉に住んでいた方々が「自分が住んでいた風景そのままだ」とか「自分の体験した時代はこの通りだった」と口々におっしゃっています。この映画においては、背景に登場する全ての人が主人公たちと同じ時代の片隅に生きる人達であり、ドラマがあるのです。
また、映画を作成する側の人たちも、それぞれに思いを持って取り組んでいるのがわかります。例えば広島の風景を描くことにプレッシャーを受けながらも描き上げた美術監督の林孝輔さんとか、広島出身であることから直談判して方言のサポート役としてレコーディング現場に立ち会ったサン役を務めた声優の新谷真弓さんとか。ここで全員の名前を書くのは無理なのでこれくらいにさせてもらいますが、映画を裏で支える方々が色々な思いを持ってこの作品に取り組まれているのが伝わります。
人の生とこの作品の意味
この映画を見た戦争体験者や、映画作成に協力した方々が「死んだ親が喜んでいる」「ようやく両親が浮かばれた」といったことをおっしゃっています。戦後、数々の戦争作品が作られてきましたが、こういった声はあまり聞かなかった気がします。この事は重要な意味を含んでいる気がします。悲劇を伝承する方法、残された人の人生、残された人にとっての故人、これからの世代の生き方などを考える良い命題を与えられた気分でした。
ITとの関連
最後に、いちおう自分の職業に絡めた話をしておこうかと。
前述のとおり、この作品はクラウドファンディングを活用して作成されています。クラウドファンディングとは、不特定多数の人がインターネット経由で出資して特定のプロジェクトを支援する手法の事です。
クラウドファンディングについて、企画の丸山正雄さんがこんなことをおっしゃっています9。
僕としてはクラウドファンディングに関しては全然抵抗が無かった。昔から、たとえば、特殊な用途のフィルムを作る時には同志を集めて、事前にお金を集めるケースというのはあったんですよ。
クラウドファンディングと横文字で言われると、ただの流行りであったりバズワード的に感じたりもしますが、ものの本質としては昔から行われていたことをITを利用してさらに適用範囲を広めたものです。
今、急速に拡大しているUberやAirbnbなどのシェアリングエコノミーという分野も、一昔前まで普通に行われていた(らしい)近所に醤油や味噌を借りる行為をITでさらに拡大したようなものです。
ビッグデータ、IoT、スマートファクトリ、インダストリー4.0、AI、AR、VR、ブロックチェーンなど、ITの分野では次々と新しい概念が生まれますが、人間の本質というものはそうそう変わらないと思うのです。そういったものを見極めて、地に足のついた活動をしていきたいと思います。
といったように、サイドストーリーだけで超絶感動ドラマが自分の中で作れちゃう位、いろいろなものが詰まっている、私にとってそんな映画でした。
最後に、DVDやBlu-rayの発売が待ちきれない方は、次のDVDがお勧めです。
NHK東日本大震災復興支援ソングのPVです。
こうの史代さんがキャラクターデザイン、片渕須直さんが監督をつとめています。この世界の片隅にを見た方やこうの史代さんの作品を読んだ方にとっては、いろいろなキャラクターが思い起こされる映像だと思います。
売上の一部と著作権料が義捐金として被災地に届けられるらしいです。
おまけ
予告動画を掲載しておきます。
日本版
海外版
- 良くわかりませんが、配給力というものが興行収入には大きく影響するそうです [↩]
- 小学生時代に、ドラえもんで立ち見をしたような気が… [↩]
- 『この世界の片隅に 劇場アニメ公式ガイドブック』92~93頁より引用 [↩]
- 参考: http://mai-mai.jp/supporters.html [応援団|「マイマイ新子と千年の魔法」公式サイト(2009年公開映画)] [↩]
- 参考: http://toyokeizai.net/articles/-/147002 [映画「この世界の片隅に」製作プロセスの秘密 | 映画・音楽 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準] [↩]
- 『映画パンフレット この世界の片隅に』原作 こうの史代 インタビュー より引用 [↩]
- 『この世界の片隅に 劇場アニメ公式ガイドブック』88頁より引用 [↩]
- 『この世界の片隅に 劇場アニメ公式ガイドブック』96頁より引用 [↩]
- 『この世界の片隅に 劇場アニメ公式ガイドブック』68頁より引用 [↩]