仕事唄とゲーミフィケーションと働くということ

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まず、2014年3月8日の読売新聞に素晴らしい記事があったので紹介します。

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滑車の綱を引き、男たちが歌いながら杭を打つ。米国の動物学者モースは横浜で堤防の工事を目にした。<時間の十分の九は歌を唄うのに費やされるのであった>と、明治初期のお雇い外国人は書いている◆息をそろえる。リズムをつくる。つらい労役に、心の弾みをつける。男たちがうたっていたのは田植え歌や茶摘み歌と同じような“仕事唄”であったろう
(中略)
息をそろえ、心に弾みをつけて乗り越えていくだけである◆♪歌でやらかせ この位な仕事 仕事苦にすりゃ日が永い(刈干切唄)。容易ならざる仕事だからこそ、なんのこれしきと顔を上げて滑車の綱を引く。気丈な合唱を唇に忘れまい。

日本にはたくさんの仕事唄(作業唄とか労作唄とも言うらしい)があります。むかし、皆で協力して一つの作業をするときに歌いながら行っていたのです。稲を植えるときや、漁をするとき、重労働をする時等に、息を合わせ皆で苦しさを乗り越えるためです(余談ですが、映画「もののけ姫」で、タタラ場で女性たちが仕事をしながら歌っていたシーンが浮かびました)。今の時代では仕事唄を歌いながら仕事をするという事は無くなったような気がしますが、新聞記事にもあるように、明治初期までは日本で普通に行われていた仕事のやり方だったようです。今と違い、仕事をすることと生死が表裏一体の時代、苦しさを乗り越えて仕事をすることを生きる喜びに変える素晴らしい文化だと思いました。

ゲーミフィケーションという言葉をご存知でしょうか。日頃の色々な物事に対してゲーム的な要素を取り入れていくという考え方です。身近な例で言うと、お店のポイント制などがそれです。多く来店するとランクが上がるシステムになっている店などは、ただのポイント制と比べゲーム性をより強くしてもっと来店してもらおうとしているわけです。他には、医療保険で病気にならなかった場合にキャッシュバックがもらえたり、燃費のいい運転をしたら得点が付く車など、日常生活にゲーム性がどんどん取り入れられています。評価制度にゲーミフィケーションを取り入れている会社もあるそうです(周囲の社員が、頑張っている社員に点数を付けて、得点を競い合うとか)。
仕事唄のエピソードと比べると軽い話ですが(悪くいうと、薄っぺらで子供騙しのようにも感じます)、現代においても仕事や日常に楽しみを取り入れる事の価値が評価されてきたという事だと思います(逆に言うと、ゲーミフィケーションなんて海外の最新の言葉を輸入しなくても、大昔から日本の文化・伝統として生活に根付いている考え方だとも言えます)。

働く上で、辛い事があるのは当然の事です。しかし、もしそれが何の楽しみも伴わないものだとしたら、どうでしょう。「仕事だから苦しくて当たり前」「仕事だから我慢して当たり前」といった意見を聞きますが、私はそんな単純なものではないと思うのです。「みんなが頑張っているんだからお前も頑張れ」、少し違和感があります。「みんなが頑張っているから自分も頑張れる」なら分かります。「和を重んじる」、大切な考えです。でも「みんな我慢しているからお前も我慢しろ」は、「和を重んじる」とはまったく異なる概念だと私は思います。「わがままを言うな」「それは甘えだ」、非常に難しい言葉だと思います。他人を従わせるには非常に便利な言葉ですが、実は非常に高度な概念だと思います。

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